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伝のくくるをめぐる

取材

【前編】泰澄大師の白山開山ものがたり

ライター︰秋屋美桜

白山信仰を知ると欠かせない存在として語られるのが、白山を開山(かいざん)した修験僧の泰澄大師。それまで人間が足を踏み入れられなかった白山に初めて登頂した泰澄は、一体どのような人物だったのか、そして白山開山は人々にどのような影響を与えていったのか、注目してみたいと思います。

泰澄大使の石碑

泰澄は奈良時代に福井県で生まれ、幼い頃から泥で仏像をつくって遊んでおり、神童といわれていました。

14歳の頃、夢に現れた十一面観音のお告げをきっかけに越知山での山岳修行に勤めるようになりました。修行は、越知山までの片道約15kmの道のりを夜通し走り、朝には家に戻るというもので、常人では到底かなわないことを成し遂げたといわれています。現代でいうアスリートのトレーニングのような苦行を行いながら精神を研ぎ澄ませ、山の神々と一体になる感覚を日々味わっていたのでしょうか。

修行の中で悟りを開き、霊力を身につけるようになった泰澄は、奈良の都でも名が知られるようになり、当時の朝廷から鎮護国家の法師に任命されました。またその頃の泰澄は、修行を続ける中でいつも仰ぎ見ていた白山に対して畏敬の念を抱くようになり、いつか登って白山の神々に会いたいと願うようになります。そして36歳の時に、夢の中で白山山頂の白山妙理大菩薩(はくさんみょうりだいぼさつ)が貴女(白山神)の姿で現れ、白山へ登るように導かれたことで白山登頂を本格的に志すようになり、養老元年、二人の弟子とともに白山登頂を果たし、千日間の修行を積むようになりました。

ある時、修行中に白山頂上の池のほとりで祈念していた泰澄らの前に、池の中から九頭竜(くずりゅう)が出現しました。それをみた泰澄は、「このような荒ぶる神ではない」と更に念じると、竜神は姿を消し、変わって十一面観音が現れました。この時に泰澄は、白山の神が”水”より生まれた竜神であると感得したといわれています。これは、水の神様と仏である十一面観音を同一のものとみなす「神仏習合」の先駆的な事例とも考えられます。


泰澄大師の白山開山ものがたり
後編はこちら

※本記事でのエピソードは「泰澄和尚伝」にもとづいたものです。

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