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伝のくくるをめぐる

取材

【後編】泰澄大師の白山開山ものがたり

ライター︰秋屋美桜

泰澄大師の白山開山ものがたり
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ある時、修行中に白山頂上の池のほとりで祈念していた泰澄らの前に、池の中から九頭竜(くずりゅう)が出現しました。それをみた泰澄は、「このような荒ぶる神ではない」と更に念じると、竜神は姿を消し、変わって十一面観音が現れました。この時に泰澄は、白山の神が”水”より生まれた竜神であると感得したといわれています。これは、水の神様と仏である十一面観音を同一のものとみなす「神仏習合」の先駆的な事例とも考えられます。

泰澄は白山での千日修行の後、その身におきる神仏からの計り知れないご利益である「霊験(れいげん)」をもって里へと下りました。その後の泰澄の活動とともに、白山の神徳は東海・北陸から若狭や近江、そして近畿一帯へと広がっていきました。

養老六年、宮廷に召された泰澄は、元正天皇の病気治療のための加持祈祷をおこない、平癒に導いたことで天皇の身体を護持する「護持僧(ごじそう)」に任じられ、禅師(ぜんじ)の位を授けられました。こういった泰澄のめざましい活躍により、白山の山岳信仰と、仏教や道教などの要素が混じった修験道が融合した「白山権現(はくさんごんげん)」としての霊験が都でも知れ渡るようになっていきました。それは白山信仰として、そして習合した十一面観音像として定着していき、神仏習合の先駆けとなりました。

白山の開山と霊験を得た泰澄の活動は、それまで白山を遠くから拝むことしかできなかった人々が山へ登拝して祈りを捧げるという信仰の形をつくり、長きに渡る白山信仰の土台となっていったのです。

白山開山にまつわる伝説や神話の数々。実態は謎に包まれ、現代を生きる私たちの想像には到底及ばない思想に触れることもあります。しかし、それらを丁寧に読み解き、想像してみることでみえてくるのは生命の恵みである水の源、白山への純粋な感謝と畏敬の念。そこには、時代背景は違えど、私たちが自然と共存し生きていくうえでの叡智を授けてくれるかもしれません。


※本記事でのエピソードは「泰澄和尚伝」にもとづいたものです。

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